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仙台高等裁判所 平成9年(ラ)68号 決定

主文

原決定を取り消す。

相手方は申立外社団法人岩手県銀行協会盛岡手形交換所に対し、平成八年六月四日付けでなした抗告人に対する取引停止処分の取消し請求の意思表示をせよ。

手続費用は、第一、二審とも相手方の負担とする。

理由

一  本件即時抗告の趣旨は、主文同旨であり、その理由は、別紙即時抗告の理由書写し記載のとおりであり、事案の概要及び争点は、原決定「第二 基本的事実関係」及び「第三 当事者の主張の要旨」欄記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

1  本件は、抗告人が相手方に対し、自己振出しに係る約束手形につき、申立外社団法人岩手県銀行協会盛岡手形交換所(以下「申立外協会」という。)に対する異議申立手続を委任すると同時に異議申立預託金を相手方に預託し、相手方は右手続をすることを受任するとともに右預託金を申立外協会に提供して異議申立手続を行ったところ、相手方は抗告人に無断で、申立外協会に対し、盛岡手形交換所規則五五条一項三号に基づき、右異議申立ての取下げを請求し、申立外協会が、右異議申立提供金を相手方に返還するとともに盛岡手形交換所規則五五条三項に基づき、抗告人を取引停止処分に付したため、抗告人は、右異議申立ての取下げ請求には抗告人の事前の申出又は同意が必要であり、右申出又は同意のない右取下げ請求は重大な過誤に基づくもので、相手方は自らの誤った行為により生じた右取引停止処分が撤回ないし取消しされるようにする義務があるとして、申立外協会に対し、盛岡手形交換所規則五六条一項に基づく取引停止処分の取消し請求の意思表示をすることを求めたものである。

2  そこでまず、手形債務者が不渡手形金相当額の預託金を提供して支払銀行に手形交換所に対する異議申立てを依頼する法律関係を検討すると、それは手形債務者が銀行取引停止処分を受けないように支払銀行において手続を採ることを内容とする委任契約関係であり、手形債務者から支払銀行に交付される預託金は、異議申立てという委任事務処理のために委任者から受任者に交付される前払費用と解される。即ち、手形債務者が不渡手形金相当額を支払銀行に預託して異議申立手続を依頼するのは、銀行取引停止処分により現実に不利益を被る手形債務者が、その不利益を受けるのを回避するために、手形債務者に資力があり不渡りがその信用に関しないものであることを明らかにする趣旨で手形金額相当額を支払銀行に預託し、これにより支払銀行が手形交換所に手形金額相当額を提供して異議申立てをすることを目的とするものである。したがって、右委任を受けた支払銀行は、右預託金を手形交換所に提供して異議申立てを行った後においても、右委任の趣旨に従い、善良な管理者としての注意義務、すなわち、銀行取引停止処分の猶予を維持するために必要な措置を採るべき義務を負うというべきであるから、支払銀行が手形債務者に無断で、一方的に異議申立てを取り下げることは、委任契約の趣旨・目的に反して、手形債務者を銀行取引停止処分に陥らせることになり、善管義務に違反するもので許されないと解される。

また、盛岡手形交換所規則五五条一項三号は、「交換所は、支払銀行から不渡報告への掲載または取引停止処分を受けることもやむを得ないものとして異議申立の取下げの請求があった場合には、異議申立提供金を返還する」旨定めているが、この定めも、本来、支払銀行に対し異議申立てを依頼した手形債務者自身がもはや銀行取引停止処分を受けてもやむを得ないものと判断し、その申出により支払銀行が異議申立ての取下げを請求することを予定し、支払銀行との委任契約が手形債務者からの解除ないし合意により解除されることを前提としているものと解されるから、右規則によって支払銀行が手形債務者との委任契約を一方的に解除することが許されるものでもない。したがって、手形債務者の申出がない場合には、右委任契約が存続する限り、支払銀行が異議申立ての取下げ請求に当たり、手形債務者から予め取下げについての同意を得る必要があると解すべきである。

3  相手方は、手形交換所に対する異議申立ての取下げ請求の是非の判断は支払銀行がなすべきものであるとして、抗告人にはその支払能力を疑わせる事由が多々あった旨の主張をする。しかし、右主張は、その前提において誤っていることは、前記2の説示から明らかである。のみならず、付言するに、疎明資料によれば、抗告人の振出しに係る約束手形(支払期日平成八年五月三一日、支払場所相手方本宮支店)二八通が申立外協会を通じて相手方本宮支店に呈示されたが資金不足により不渡りとなり不渡届が提出されたこと、そのほかに、同月二七日から三一日までの間に合計一五通(金額合計五九八四万五三九四円)の約束手形及び小切手が不渡りとされたが、手形交換所を経由していなかったために不渡届は提出されなかったこと、もっとも、右不渡手形・小切手については、いずれも依頼返却の手続が採られ、所持人に返還されたことが疎明されるのであって、相手方主張のごとく抗告人の財産状態が急激に悪化し、銀行取引停止処分を受けてもやむを得ない状況に立ち至っていたとまでは認められない。相手方の右主張は、採用の限りでない。

また、相手方は、相手方が抗告人に対し既に弁済期の到来した手形貸付金二〇〇〇万円(支払期日平成八年三月二一日)を有していたところ、これを、抗告人の相手方に対する異議申立預託金返還請求権と相殺することにより債権の回収を図る必要性があったことをもって、異議申立てを取り下げた理由として主張する。しかし、抗告人が相手方に手形金額相当額の異議申立提供金を預託したのは、不渡処分を回避することを目的としたものであり、相手方において右預託金返還請求権との相殺により自己の抗告人に対する債権の回収を図ることができるとしても、右相殺の利益は抗告人が相手方に異議申立手続を採ることを委任して金員を預託したことにより副次的に生ずる期待的利益にすぎないのであって、このような利益の実現を図るために、委任の本来の目的に反して委託者である抗告人を取引停止処分に陥らせることが許されると解するのは、倒錯した論理であるというほかなく、右主張は到底採用し得ない。

したがって、相手方は、自己の過誤に基づいて手形債権者たる抗告人を銀行取引停止処分に陥らせたので、その過誤を是正すべき委任契約上の義務を負担しているというべきであるから、盛岡手形交換所規則五六条一項に基づき、申立外協会に対し、取引停止処分の取消し請求をすべき義務がある。

4  疎明資料によれば、抗告人は、異議申立ての取下げにともない、盛岡手形交換所から銀行取引停止処分を受けたため、これが取引先の知るところとなって信用が失墜し、商品の販売先からも取引を解消されるなどし、また、当座取引ができないために仕入れは現金取引によらざるを得ないなど、営業に多大の支障を生じていることが疎明され、右事実によれば、保全の必要性が認められるというべきである。

5  よって、本件申立ては、担保を立てさせないで認容するのが相当というべく、本件即時抗告は理由があるので、原決定を取り消し、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 佐藤邦夫 裁判官 佐村浩之 裁判官 橋本 健)

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